子育て色々

給食のおばちゃんからスピード出世

投稿日:1月 19, 2018 更新日:

キャリアはハシゴではなく、ジャングルジムである――。米フェイスブックのシェリル・サンドバーグ最高執行責任者(COO)の言葉だ。出世の道はかつて直線的なはしごのようだと思われていたが、様々なルートを通じて高みを目指すジャングルジムのようなものへと変わりつつある。そんなキャリアを体現する一人が薄井シンシアさんだ。娘の大学進学を機に専業主婦をやめて働き始め、「給食のおばちゃん」や「電話受付のアルバイト」などを経て、勤続3年で高級ホテルの副支配人にスピード出世した。現在は専業主婦の再就職を後押しするなどマルチな活動を展開している彼女のエネルギーの源は?

ほんの数年前まで専業主婦でした。出産を機に離職してから17年間、私の履歴書は空白でした。

 2011年7月に52歳で日本に帰国し、最初につかんだ仕事は時給1300円のアルバイト。それが高級ホテルの仕事につながり、勤続3年で副支配人にもなりました。別のラグジュアリーホテルでの勤務を経て、18年1月からは日本コカ・コーラの「東京2020オリンピック ホスピタリティ」担当として働いています。

 そればかりではありません。17年11月には、女性の再就職を支援する「Waris(ワリス)ワークアゲイン」事業の戦略顧問にも就任。私と同じように、働きたい専業主婦を後押しする活動もしています。18年3月からはニューヨーク大学プロフェッショナル教育東京で、観光・ホテル業界に再就職したい専業主婦向けの講座も担当する予定です。

 私がなぜ、ほんの数年間でこんなキャリアをつかむことができたのか――。そのコツをこれからお話します。

■最初に就いた仕事は時給1300円のアルバイト

50歳を超えた私が日本で働くには大きく分けて2つの壁を乗り越える必要がありました。1つは「社会の壁」。暗に存在する年齢制限やキャリアブランク、専業主婦への偏見です。

 日本語も英語も得意だった私は当初、外資系企業を中心に職探しをしましたが、どこも門前払い。日本に進出するカフェの店員にも申し込みましたが、それも門前払いされてしまいました。ようやく見つけたのは、ある高級会員制クラブの電話受付。時給1300円のアルバイトでした。

 若い頃にバリバリ働いていた人ほど、「時給制のアルバイトで働くなんて嫌だ」と思うでしょう。私も47歳の時、娘が通っていたバンコクのインターナショナルスクールのカフェテリアで時給制の「給食のおばちゃん」として働き始めた際には、「どうして?」と娘に聞かれました。

 入り口はなんでも良かったのです。とにかく働き始めさえすれば、次のステップに進む道はあると思っていました。

 英語でこんなことわざがあるのを知っていますか? 「人生があなたにレモンを与えるなら、それでレモネードを作りなさい」。どんなレモンでも、しぼりようによってはおいしいジュースに変えられる。最初に得る仕事は確かに酸っぱいレモンのようかもしれないけれど、それをおいしいジュースに変えられるかどうかは自分次第ということです。専業主婦をやめて働き始めたときから、私は「どんなに酸っぱいレモンでも、絶対においしいジュースに変えてやる」と思っていました。

■働き始めた理由は「娘のため」

なぜそこまで本気になったのかと不思議に思うでしょうか。それは娘のためです。フィリピン華僑の家に生まれた私は国費留学生として20歳で来日。東京外国語大学を卒業した後、貿易会社に就職し、27歳で現在の夫と結婚して日本国籍を取得しました。

夫は外務省に勤務しています。こう言うと「コネがあっていいわね」と思われがちですが、そんなことはまったくありません。夫の立場を考えれば、「仕事を紹介してください」などと軽々しく口にできるはずもない。海外赴任の多い夫に帯同し、5カ国で暮らしましたが、私自身の生活はどこにでもいる「公務員の妻」でした。

 娘を出産したのは、広告会社に勤務していた30歳の時です。20代の頃は、出産後、自分が仕事を辞めるなんてみじんも思ってはいなかった。でも、娘が生まれてすぐに気がつきました。何でも全力で取り組まないと気が済まない私の性格では、仕事と家庭の両立はとても無理だと。

 17年間、私と一緒に過ごした娘は米ハーバード・カレッジに進学。卒業して外資系金融機関の日本法人に勤務しましたが、その後、ハーバード・ロースクールに入り、弁護士資格を得て、現在は米マサチューセッツ州最高裁長官の下で働いています。

 専業主婦としての自分に自信を持たせてくれたのは娘の存在です。彼女はハーバード、イェール、プリンストンという米名門大学のすべてに学費免除で合格するほど勉強が得意でしたが、私は「勉強しなさい」と強要したことはありません。ある時、「どうすれば娘さんのような頭のいい子が育つのか」と聞かれ、娘は私に代わってこう答えました。「ママは私をハーバードに入れようと思って育てたのではなく、きちんとした人間に育てようと思った。それがたまたまハーバードに通用しただけです」。

 娘は小さい頃から本好きで、私は娘が欲しがる本を惜しみなく与えました。読み終わるといつも、彼女はそのストーリーを私に話して聞かせてくれました。高校生になると、帰宅するなり、その日受けた授業の内容をすべて私に説明してくれた。

 大学時代、娘は2冊しか本を買わずに、授業に必要な本はほとんど図書館で読んでいましたが、「ママに話さなくちゃいけないものだと思って読んでいるから、頭の中がすごく整理されていいの」と言っていました。

 子どもは日々、成長します。こちらも負けずに成長しないと、すぐに会話がなくなってしまう。私はいつまでも娘と会話をしたかったから、彼女に置いていかれないよう、必死で勉強しました。わからないことがあると、いつも娘と一緒にインターネットで調べていたのです。

 私は自分ができないことを娘に「やれ」と言いたくはありません。今後、彼女に子どもができて、私のように専業主婦になりたいと思ったとき、それが決してキャリアの終わりではないとわかってほしかった。そのためにはまず私自身がいくつになっても、専業主婦からでもキャリアを築けることを証明して見せることだと思いました。ママにもできたのだから、あなたならもっと簡単にできる――。娘にそう伝えたかったのです。

専業主婦が働き始めるのは簡単なことではありませんでした。「社会の壁」に続く2つめの壁は、自分自身の心の中にありました。プライドを持つことは大事ですが、時にそのプライドが足かせとなり、新たなスタートを切れないことがあります。11年11月、ようやく得た会員制クラブの電話受付を始めたばかりの頃、私もそんなプライドと格闘しました。

最初のうちは、決まった席さえもらえませんでした。毎日、自分の荷物を箱に詰め、休みの人の席へと移動しました。わからないことを何でも質問していたら、周りの人にしつこい奴だと思われ、迷惑がられました。電話の声がうまく聞き取れず、「電話の応対もまともにできないのか!」と嫌みを言われたこともあります。

 そのたびに悔しくて、言い返したい気持ちになりましたが、ここでけんかをしたら負けです。ぐっと我慢をし、批判は批判として素直に受け止め、どう改善できるのかを考えました。

■子ども向けの誕生会を成功させ、チャンスをつかんだ

ブレークスルーのきっかけは、みなが嫌がる仕事を率先して引き受けたことです。会員制クラブには「子どもの誕生会をしてほしい」という依頼がたくさん舞い込んできました。面倒くさがって誰も担当したがらないこの仕事を、私は喜んで引き受けることにしました。専業主婦は、ある意味、誕生会運営のエキスパートです。子どもたちが何を喜ぶかを考え、パーティーを企画するのは大得意でした。

 ケーキを焼いてもらったり、風船アーティストやマジシャンを手配したり。担当した誕生会は大好評で、ますます依頼が殺到しましたが、スタッフには不評でした。というのも、子ども向けの料理は単価が安く、誕生会は手間がかかります。「面倒な仕事ばかり受けてきて」と文句を言い出す厨房スタッフもいたため、その人たちが面倒くさくならないよう、ハンバーガーにちょっとしたソーセージやフレンチフライが付く誕生会向けのメニューを考えるなど、パッケージを作って対応しました。

 そうして工夫を凝らしていたら、ある日、予想もしなかったほど大きな仕事が舞い込んできました。誕生会のお客様から、「うちの会社の懇親会をここで開きたいから、シンシアさん、担当してくれ」と言われたのです。

 私の立場はアルバイトでしたから、「なぜ、あなたが?」と不満げなスタッフもいましたが、お客様の指名なので文句は言えません。その懇親会を成功させたのをきっかけに、さらに多くのお客様から依頼を受けるようになり、ついには12年のクリスマス。クラブで開催されるすべての宴会スケジュールを、私の担当で埋め尽くすことができました。

 「これだけの実績をあげたのだから契約社員になれるだろう」。そう思って交渉に臨んだのですが、クラブの回答は「時給を100円アップします」というもの。元専業主婦がステップアップするのは、そう簡単ではなかったのです。

■52歳元専業主婦の可能性に賭けてくれた上司

日本では多くの場合、「専業主婦」は「新入社員」以下です。若さもなければ、経験もない。そのうえ、扱いにくい。企業が採用したがらない理由もよくわかります。しかし、「専業主婦だから無理」と女性がキャリアを諦めてしまうのも、「専業主婦は使いにくい」と企業側が決めつけることも、社会にとっては大きな損失だと思います。

 私にとって会員制クラブはあくまで始まりに過ぎませんでした。その仕事にこだわる理由は何もなかった。契約社員になれないとわかった時点で、すぐに次のステップを探し始めました。

 「うちで働いてみないか?」と誘ってくれたのは、バンコク(タイ)から東京に赴任してきたばかりのANAインターコンチネンタルホテル東京の総支配人でした。彼はカナダ人で、バンコクでは2人のお嬢さんが私の働くカフェテリアに通っていました。私は「給食のおばちゃん」として子どもたちに食事指導をしていましたから、彼は娘さんを通じて私のことをよく知っていて、東京に赴任したのをきっかけに声をかけてくれたのです。

 彼は過去の実績ではなく、私の人生経験を見ていました。5カ国に滞在した経験もあるのだから、英語もできる。異文化のこともよく知っている。カフェテリアをマネージした経験があれば、ホテルの仕事もできるはず――。つまりは、52歳元専業主婦の可能性に賭けてくれたのです。

 13年3月、私は会員制クラブの仕事を辞め、ANAインターコンチネンタルホテルに契約社員として入社しました。ホテルに勤務している間、要人相手の宿泊セールスとして、1億円を超える案件も手がけました。社内の人手不足を解消するため、友人の専業主婦を何人も職場に引き込み、キャリアを再スタートさせました。現在に至る、日本での「出世」はここから加速しました。

記事引用ですが、何か49歳の私にささる記事でした。100歳まで生きれてしまうこの時代50歳が転機になるとは思いもしなかった。今がやっと折り返し地点、さて後半戦は何をやろうかしらね。

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